慧日山 東福寺 其の3

_IGP3076.jpg東福寺は臨済宗、なのに日蓮宗の石碑が…。日蓮上人が京都で宗教上の迫害を受けたとき東福寺の聖一国師が庇護した縁で、伽藍造営に際して日蓮が東福寺に一木を贈ったとされています。
迫害といえばイジメのようですが、日蓮宗と法華宗との宗教上の問題が過去にあったようです。
その柱は火災により消失しますが、昭和に本堂を再建するさい日蓮上人の伝承に従い、柱の一部を日蓮宗信者が寄進されました。その柱は「日蓮柱」と呼ばれ現在の本堂に使用されています。
この石碑はそれを記念して建てられたものだそうです。宗教間をこえたこのお話、ちょっといいでしょ。

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西の鐘楼とともに東福寺にあるもう一つの鐘楼。寛文11年に再建されたものらしく、中々赴きがあって個人的には好きです。場所が境内の端にあって目立たないため知らない人も多く、西の鐘と比べると「日陰の身」感が半端ない不憫な大鐘楼。

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庫裡、明治42年に再建された切妻を正面とする禅宗寺院ではおなじみのスタイル。白壁に配された縦横の構架材が綺麗ですよね。日常的寺務などを行うところですが、方丈庭園拝観の受付もこちらで行われています。

20111208_shigemori4_v.jpg東福寺の庭園は近代の造園家 重森三玲氏によって昭和13年に作庭され、氏の代表作として有名で東福寺の見所の一つでもあります。鎌倉期庭園を基本に、近代芸術の抽象的構成を取り入れたモダンな枯山水庭園。
方丈を囲んで四方に配され、庭に8つの要素と取り入れていることから「八相の庭」と呼ばれています。
八相というのは釈迦の生涯で起きた8つの重要な出来事を意味する、八相成道(はっそうじょうどう)に因んで付けられた名のようです。

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拝観料400円を払って早速方丈庭園の見学に行ってみます。廊下がなんともいい感じで、気分が高まります。

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こちらが南庭と呼ばれる庭。ここでは日本庭園における定型的な表現方法である、蓬莱神仙思想を中心とした意匠形態となっています。蓬莱神仙思想というのは古代中国での民間思想で、仙人が住むとされる山や、その存在を信じ崇め不老長寿を願う考えのことを言うらしいです。

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ゴッツイ石がゴロゴロ転がってます。210坪の南庭には白砂が敷きつめられ、砂紋で荒波が表現されています。一見無造作に置かれたかのようなこの巨石は、四仙島を表しているんだとか。

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古来中国大陸の蓬莱神仙思想では東の大海の彼方に仙人が住む「蓬莱(ほうらい)」「方丈(ほうじょう)」「瀛洲(えいしゅう)」「壺梁(こうりょう)」の四仙島があり、島には仙薬財宝があると信じられています。

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その中の三神仙島(蓬莱、瀛洲、壺梁)は6m程の石を横に寝かせて表現されています。どれがどの島かはわかりませんが…このような表現方法は、今までの古庭園には殆ど見られ無かった技法らしいです。

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確かに石を寝かすことで、全体のバランスがとれていますよね。ゴツゴツした岩肌が、切り立った険しい山々をよく表現していると思いませんか? 仙人が住んそうな山のイメージがよく出ています。

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庭園において人工的に作った山のことを築山(つきやま)と言います。よく見かけますよね。この南庭の築山は京都五山を表しているそうです。また築山と白砂の境界が、斜めに直線的に造られているのも斬新です。

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唐門、屋根に独特の唐破風があることからそう呼ばれます。鎌倉時代に流行したスタイルなんだとか。この門は明治42年に造営され、昭憲皇太后(明治天皇の皇后)より下賜されたものだそうです。

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方丈側から見た南庭。縁側に腰掛けて庭をぼーっと眺めていると、色々なストーリーが浮かんできます。ボクの頭の中には、何故か遣唐使が荒海を渡ってるイメージがありましたけどねw

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なかなか見所の多い南庭でした。賛否両論があるようですが、古典的な技法の中に新しい表現方法を取り入れたこの庭、個人的にはアリですね。
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