輪違屋(わちがいや)

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輪違屋とは、現在も京都の嶋原(花街)で営業されている置屋兼お茶屋さん。置屋(おきや)というのは芸姑さんなどが所属するプロダクションのようなもので、仕事の依頼があれば置屋から派遣されます。派遣先は置屋に対して揚屋(あげや)と呼ばれます。創業は元禄元年、置屋としての創業当時の名は「養花楼」お茶屋も兼業するようになったのは明治5年からだそうです。この建物は昭和59年に京都市の登録文化財に指定されました。


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浅田次郎さんの著書「輪違屋糸里」やTBS系で放送された上戸彩さん主演のドラマ「輪違屋糸里~女たちの新撰組」の舞台となったことでも有名。
驚く事に輪違屋さんには現在も数名の太夫と呼ばれる方が在籍していています。もともとは芸妓等も抱えていたそうですが、現在は太夫のみで太夫の教育の場であり、宴席の場として営業されています。

b0021594_245427.jpg太夫=花魁と思われている方も多いと思いますが「似て非なるもの」まったく別物です。
観光でコスプレしている方は別として、京都には今も昔も花魁はいません。花魁は吉原で京都は太夫、また京都の嶋原は花街で、吉原は遊郭です。

「じゃ花街と遊郭は何が違うの?」って事ですが、花街は芸を売り遊郭は色を売る…コンセプトが全く異なります。また花街には芸事の修練の場、歌舞練場があるのも特徴の一つで吉原にはありません。
太夫とは江戸時代初期、京の花街を中心に登場した「幕府公認遊女の最高位」で、舞や琴などの芸事に秀で、和歌や俳諧の教養に長けた最高位の遊女に与えられた「格」の事を言います。
遊女は現在では娼婦と同意とされる場合が多いですが、元来は芸能に従事する女性一般を指したものでした。

4ddb61aa6b90d.jpg嶋原の太夫は「正五位」の官位を持ち、これは十万石の大名に匹敵します。また「正五位」というのは御所において天皇による謁見を賜ることも可能な官位で、合図藩主 松平容保が京都守護職をに就任したさい賜ったのが正四位ですから、どれほどのものなのか想像できると思います。

太夫が右の衿をかえし中から赤色の衿をのぞかせるのは、赤色が正五位の色だからなんですね。身分制度の厳しかった時代、大傘をさして道中を練り歩けるのも、それだけの位を持っていたと言う証でもあります。
太夫の語源は女歌舞伎で芸達者の役者が「太夫」と呼ばれたのが始まりで、花魁は「おいらの(とこの姐さん)」からという説があり、位ではなく上級の遊女たちを指す「通称」だったようです。今で言うと「オレの嫁」ってことですねw

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左が太夫で右が花魁。花魁のかた、かなり可愛いです。なんだこの敗北感は…orz
気を取り直してサクッと違いを…まず帯の結び方。嶋原太夫の帯の結び方は前で心の形に結びます。それに対して、吉原の花魁の帯の結び方は、前帯を前に垂れ下げる「まな板」と呼ばれる型で花魁特有の結び方。
その他、かんざしの差し方や、下駄などディテールに違いがあります。(大雑把w)そして太夫道中は内八文字、花魁道中は外八文字に歩くそうです。
嶋原と吉原について色々と書きましたが、もともと吉原は嶋原のコピーから始まりました。ですから、初期の段階では太夫もいたようですが、客の対象が一般層に移っていくにしたがい、芸→色へシフトチェンジされていき、太夫は自然と消えていきました。

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太夫の客層は公家、大名、有力町衆が中心で、一回呼ぶのに現在の価値に換算して50万~100万位は必要だったと言われています。言わばお大尽御用達、一般庶民にはおいそれと手の出ない料金設定です^^;
もっとも太夫などを呼ぶと、置屋から揚屋までは太夫道中が行われる訳で、「×××問屋の旦那からお声がかかったそうだよ…羽振りがいいよね」と評判になり、宣伝としての効果もかなりのものでした。そう考えるとなんとなく現在のタレントさんの営業の相場に似ている気がします。たしかに上の写真のようなど派手な出で立ちで、道を練り歩けば嫌でも目立ちますもんね。(写真は如月太夫)

watigai5.jpg当時はそんな姿を羨望の眼差しで見つめ「いつかは…」なんて思いながら、嶋原で遊べない人が祇園などの他の花街で遊んでいたのかも知れません…。
そんな貴族の社交場とも言える「輪違屋」現在においても一般市民がお気軽に入れる訳ではなさそうです(´;ω;`)
入り口にはしっかりと「観覧謝絶」の文字が…いわゆる「一見さんお断り」誰か連れてって下さいw 料金もかなり気になりますけどね。今回はせめて写真だけでもって事で、他サイトから色々お借りしてきました。

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なんとも歴史を感じさせる階段です。今にも赤い襦袢の遊女の方が降りてきそうですよね。モダンなのれんがいいアクセントになっています。

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左が西郷隆盛・大久保利通とともに「維新の三傑」と呼ばれた桂小五郎の書で、右がご存知 新撰組局長近藤勇の書だそうです。すごいメンバーですよね。幕末大好きなボク的には、これだけでもご飯3杯はいけます。

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型取りに本物の紅葉を使いそれを彩色した壁が使われた「紅葉の間」と、太夫道中に使われる傘を襖に貼り込んだ「傘の間」傘に染められた「髙」の字は、ご当主高橋さんのシンボル。この両方の間は元々、ご当主の部屋だったそうです。さすがに実際行ったことないので、感想などは詳しくは書けませんでした^^;
こちらの動画などを見て頂くと、なんとなくイメージは伝わるかと思います。動画の解説が一部間違っているところもありますが…嶋原は何度もいいますが、遊郭ではなく花街なんですけどね。
もし輪違屋に行かれる機会があったときに遊郭って言えば、女将さんに嫌な顔をされるかと…。